「英語の試験」とどう付き合うか

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 まず、最初にお断りしておきますが、私は現在の英語の試験の方式を批判するつもりはありません。かけられるコストやマンパワー、必要な受験者のキャパシティ、試験と採点に関する時間制約、公平で客観的な評価基準の必要性など、現実的な諸要素を考慮すれば、今の試験方式は十分合理的だと思います。私がお話ししたいのは、受験者が試験というものをどのように考えるべきか、ということに過ぎません。また、便宜上「英語」の試験の問題としてお話しさせていただきますが、他の言語の試験も大同小異であることは当然の前提です。

リスニングテストの不思議

 英語のリスニングテストというのは奇妙なものだと感じた方はいらっしゃるでしょうか。TOEICでも大学入試でも、複数の人物の会話を聞いて設問に答える問題がありますが、その会話に受験者は参加していません。当たり前ではないかと思うかもしれませんが、私たちの日常生活において、自分が参加していない他人同士の会話を聞き取らなければならないシチュエーションはまず発生しません。特にその会話が公開の討論会やシンポジウムではなく、至って個別的な性格のものだとすれば、それを一所懸命聞こうとすることは、通常「立ち聞き」と呼ばれます。同様に、他人が他人に宛てた書面やメールを読む機会があるとしたら、普通は「盗み読み」です。

 私たちが上達させるべきコミュニケーション能力とは本来、相手の自分に向けた言葉をしっかり受け止め、その相手に伝わりやすいように配慮しながら自分の表現を組み立て、相手に渡す対話能力であって、「立ち聞き」や「盗み読み」の能力ではないはずです。

英語で考える力

 また、特にTOICの場合、時間制約が非常に厳しいという印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。リスニングの問題は1回しか流れず、どんどん先に行く感じですし、スピーキングの試験には、問題が示されてから5秒間考えて、15秒間話し続けるというルールがあります。もちろん、早く反応できること、迅速に言語処理ができることに意味がないというつもりはありません。しかし、自国語の場合でも、何を言っても即座に、反射的に反応してくる相手を、あなたは信用に値すると感じるでしょうか?大事なのは、少々時間がかかっても、英語でしっかりとものを考えられることではないでしょうか。

読解力と情報処理能力

 さらに、試験の中で読むことになる英語の文章や資料類の中に、自分に必要な、或いは有益な情報は全く含まれていません。しかしながら、読解力或いは情報処理能力というのは、どんな言語においてであろうと、本来、文章や資料の中から自分に必要なポイントや必要ではないまでも有益な情報を的確に抽出し、正確に読み取る能力なのではないでしょうか。

 最後の点については、それは英語だけではなく、入学試験の国語の問題も同じではないか、という反論があるかもしれません。近年では、国語の方も、残念ながらそういう批判を免れ難い状況になってきているようですが、共通テストの問題などで扱われるのは、古文・漢文はもちろんのこと、評論的文章にしても文学的文章にしても、日常卑近の生活に関わるものではなく、私たちの文化・教養に関わるものになっています。私たちが、自分の必要や利益のためではなく、そこから学ぶために読むような文章です。それに対して英語では、久しく「英語教育改革」として「使える英語」、「実用的な英語」を追求してきた結果、日常卑近の文章が出題の中心になり、このような矛盾が生じてきているということだと思います。

「英語教育改革」の問題点

 少しわき道にそれますが、 私は、この「英語教育改革」には根本的な誤解があったのではないかと思っています。端的に言えば、「使える英語」を教えれば「使えるようになる」訳ではない、「使える英語」と「英語が使える」は別のことだ、という認識が欠けていたのではないかと思います。

 「使える英語」=実用的な英語を教えることには、いくつかの大きなデメリットがあります。まず何よりも面白くない。語学を学ぶ楽しみの一つは何と言っても異文化の発想に触れることですが、飛行機に乗るとか、スケジュールの確認をするとか、そういう実用的な話には、そうそう面白い発見がありません。また、実用的な英語は、実用的であればこそなおさら、日本のように日常的に英語を使わない国では、全く使う機会がありません。さらに、これが非常に重要な点ですが、実用的な表現というのは、どうしてもTPOに依存する部分が大きい、言い換えれば「場にふさわしい表現」が必要になります。とにもかくにも言いたいことが伝われば良いという状態に比べて、「場にふさわしい」かどうかを気にしなければならない状態は、心理的なハードルが一段高くなり、話者に「この表現で良いんだろうか」という不安を抱かせがちです。

 つまり、「使える英語」は、学ぶモチベーションが上がりにくく、実地に使う機会がなく、いざ使おうとすると心理的ハードルが高い、ということになってしまうのです。

英語の試験との付き合い方

 最初に述べた通り、もろもろの制約の中で現在の試験方式が合理的だとしても、そこで求められ評価される能力が、本来の英語コミュニケーション能力や読解力・情報収集能力との間で、乖離を生じてしまっているという認識はしっかり持っていた方が良いと思います。そして、その本来の能力の向上と試験のスコア対策とをある程度切り分けて、合理的な戦略を持って語学に取り組む必要があると思います。もちろん一人一人事情は千差万別でしょうが、少なくとも試験対策が本来の英語力に直結するという幻想を過大に持たず、上手な試験との付き合い方を模索することが肝要だと思います。

もし「理想の試験」が実現できたら

 もし、コストもマンパワーも時間も受験者のキャパシティも一切考慮しなくて良いということであれば、私はこういう試験方式が理想だと思います。①「政治・社会」、「文化・芸術」、「ビジネス」、「科学技術」などのジャンルから一つを選択した上、その分野に関わる内容のある長めの文章を読む。②その文章の内容について自分の見解を英文で書いて提出する。③試験官と1対1或いはグループディスカッション方式で、初めの英文と自分の見解とを元に口頭試問を行って、合否を決する。やたらに時間とコストがかかり、公平な判定基準が難しく、受験できる人数が厳しく制限される方式なので、非現実的だとは思いますが、本来の語学の能力には最も即した方式だと思います。

以上、私見を述べさせていただきました。もちろん、同感してくださる方も、反発を感じる方もいらっしゃると思います。それでも、この文章を読むことで、英語の試験に悩む方が、少しでも気持ちを軽くし、自分に合った学び方を見つけるきっかけになれば幸いです。

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